2023/12/6
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Jリーグ創世記のヴェルディ川崎、北澤豪さんのチャント(応援歌)を楽譜にしてみました。聴音 |
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Jリーグ創世記のヴェルディ川崎、北澤豪さんのチャントを楽譜にしてみました。聴音 ト長調(G dur)で書いてみました。 北澤豪さんは読売クラブジュニアユース、修得高校から本田技研(1990-1991日本リーグ得点王)、そして1991年に読売クラブに入団され2002年引退までヴェルディ一筋で活躍されました。 1991年のキリンカップサッカーで日本代表に選ばれ、イングランド代表のエースストライカー、ゲイリー・リネカー擁するトットナム・ホットスパーとの試合で右サイドからの福田選手からの低い鋭いセンタリングをダイビングヘッドで合わせ、ゴールしたのを覚えています。 中盤のダイナモと呼ばれ、疲れを知らない中盤での運動量、気の利いたカバーリングや動き出しや前線への飛び出し、タイミングの良いミドルシュートなど私の好きな選手の一人でした。 日本代表には1991から1996年。1997年から1998、1999年年。特にフランスワールドカップアジア最終予選で日本代表がピンチのとき加茂周監督が解任になり岡田武史監督が就任すると北澤豪さんとゴン中山(中山雅史選手)が選ばれました。二人とも活躍し、ジョホールバルの歓喜に繋がり、フランスワールドカップ出場を決め、ワールドカップに初出場出来ました。 フランスワールドカップ本選に選ばれたのですが、直前で三浦知良選手、北澤豪選手、市川大祐選手が外されてしまいました。 しかし、その後もJリーグで大活躍され2002年日韓ワールドカップのときに北澤豪選手を呼ぶべきだ。という声がサッカー専門家からにわかファンまで起こったのを覚えています。 2002年現役引退。2002年シーズン終わりに、翌年Fマリノス監督の就任が決定していた岡田監督から移籍のオファーが届いたが、膝の調子が悪くオファーを断り引退されました。2003年6月21日に国立競技場開で行われた引退試合には多くのファン、プレーヤーが集まりました。 現在もほとんど姿、風貌が変わっていません。 ![]() |
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