2023/12/31

2月18日、右手首骨折。2月24日、手術 右橈骨遠位端骨折 新井猛先生

2月18日、土曜日の深夜0時ごろ、右足首を骨折してしまいました。
朝すぐに診療所に行くと、お医者さんの第一声が、ああそこよく折れるんだよね。
と仰られ、やっぱり骨折しているんだと落胆しました。
 
右手首のあちこちの周りの細かい骨も、粉砕骨折や複雑骨折をしていると仰られまして、とてもショックを受けました。
 
ピアノをやっていること、ピアノ教室をやっていること、ピアノを教えていることを伝え、一番早く治る方法を教えてください。と言いました。
 
手術。と仰られ、手の専門外科医のほうが良いでしょう。とのことで横須賀には一人か二人しかいないそうで、追浜の湘南病院の新井 猛先生が良いでしょう。と仰られ、紹介状を書いてくださいました。
 
2月20日、月曜日の朝、京急に乗り追浜の湘南病院に行きました。外科に行き診察室に呼ばれ、診療所で撮ったレントゲン、CTを新井先生がみると、ほとんど全員の整形外科医が手術をするでしょう。と仰られました。
 
右橈骨遠位端骨折と診断されました。
 
 
すぐに入院の日が決まり24日の金曜日になりました。一泊二日の入院です。
その前に23日にPCR検査をし、24日に入院しました。
 
午前から昼3時まで病院指定の物に着替え、点滴しながら過ごしました。緊張でトイレに何度も行きました。
 
手術の時間になり、看護師さんが車椅子を持ってきてくださり、車椅子に座り、手術室に向かいました。
 
人生初めての手術室に恐怖と緊張で何がなんだか解らなくなりました。とにかく先生方と看護師さんたちに、よろしくお願いいたします。と何度も言ったと記憶しています。
 
手術台に上がり仰向けになり、右腕を出すように仰られ、多分、右手と肘くらいまで消毒したと思います。
局所麻酔を鎖骨のあたりからしました。手の感覚がだんだん無くなり、確かなんかビビッとしたら教えてください。と先生から言われたような気がします。
 
ビビッと初めての感覚でとても怖かったのですがビビッと来ましたと伝え、確かこれ痛いですか?とても聞かれました。痛くなかったので痛くないです。と伝えました。
 
それから手術が始まりました。とても長い時間でした。怖くて右手を見ることができませんでした。ずっと反対側をきる向き、ずっと目を瞑っていました。
 
特に痛くはなかったのですがなんかされてるのが怖く、たまに少し痛かったと思います。
 
看護師さんがあまりに怖がっている私を励ましてくださいました。
 
 
手術が終了した瞬間、新井 猛先生が、完璧です。大井さんピアノ弾けますよ。ととても大きな声で仰られました。
 
私は、ありがとうございます。と何度も言ったような気がします。とにかくお礼の言葉を連発したような気がします。
 
 
右腕が全く感覚がなく右腕がとても重たかった。自分の意志とは全然違う方向に勝手に動いてしまいました。
 
車椅子に座り、病室に帰るとき、看護師さんから、新井先生は聖マリアンナ医科大学の先生で名医なんですよ。NHKの番組のチョイスの出てらしたんですよ。と教えてくださいました。
 
少ししたあと新井先生が車椅子に座った私のところに来てくださったので、とにかくお礼を言って、先生は日本屈指の名医だと看護師さんからお聞きしました。と言ったら、先生が、ああ、迷うほうの迷医ね。と仰られました。お茶目な方なんだなあ。と思いました。
 
病室に帰ると夕食が用意してあり、すぐに食べました。おにぎり2つと味噌汁は覚えているのですがあとはあまり覚えてません。食べ終わるとすぐにベッドに横になりました。ホッとしたのと、とにかく疲れました。
 
横になりながら母や友達に報告のラインをしました。
 
あとこの日、生徒と東京オペラシティで行われたショパンコンクール優勝者ブルース・リュさんの演奏会に行くはずだったので、生徒にどうだったか。ラインしました。
 
確か夜ですか9時に消灯でその少し前に看護師さんが点滴、あと心臓より右手が上になるようしてくださいました。
 
続々とラインの返事が来たのですが、いつの間にか寝てしまいました。
 
気づくと明け方3時半でした。いつもまだ起きている時間なので不思議な感覚でした。トイレに行き、戻りまた寝たと思います。朝6時半に目が覚めしばらくすると朝食が運ばれてきました。食べて少し休んで看護師さんに退院の説明を受け、帰るため着替えをし、朝10時に病室を出て、受付で会計をし退院しました。
 
この日は電車で浦賀駅ヘ。浦賀駅からは歩いて帰りました。